昭和40年11月18日生まれ。巳年、蠍座、B型。好きな食べ物は、刺身、ユッケ、生ガキなど、つまり生もの。ちなみに独身。
父母共に教師。妹、現在学校の保健の先生。この商売が苦手な家系に生まれたため、フリーカメラマンでありながらも営業下手。ただ写真を撮るのが好き。
写真をはじめたのは、長崎県立大村高等学校在学中、ある日ふと、「そういえば趣味はなんですか?って聞かれた時に答えるものがないなあ」と思いつき、絵を描くのも楽器を練習するのもめんどくさいので、写真なら撮れるだろう、という安易な考え。これが間違いのもと。父が持っていたペンタックスSPで写真を撮り始める。
でも高校の時の写真は、親友と撮り合った「ミュージックライフに載ってたイアンマカロックのポーズのまね」とか、「アントンコービンが撮ったU2の写真のまね」とか、ずばり遊び。
大学入学で福岡に住む。そして写真部に入部。今でもある人は私のことを紹介する時、「福大写真科卒」、と言うが、福大にそんな学科はない。いわゆるサークル。
しかし今思えば、ここですべての原点を学んだ。モノクロの現像、写真を撮るという行為&酒。60年代の写真家のように、酒を飲んでは写真を撮る、という生活に憧れていた。だからこの頃の写真は、とても観念的でしかも気絶するほど下手い。
奇跡的に大学を卒業できたはいいが、就職できなかったので、カメラマンになろうと思い、専門学校入学。この頃は、専門学校を卒業すれば翌日からカメラマンになれる、と思い込んでいた。
そして当時アルバイトしていた西鉄名店街の「おみき茶屋」にて、あるお客さんの紹介で山善と出会う。23才の冬でした。人生初のライブ撮影がはじまった。
専門学校の先生の影響もあって、私の写真はだんだんドキュメンタリーを目指すようになった。でもやっぱり下手だった。
どうやら学校を出ただけではカメラマンになれないらしく、東京の六本木スタジオに入る。2年間の修行の後、どうやらスタジオマンをやっただけではカメラマンになれないと気づき、三浦憲治氏の助手になる。つごう9年間、みっちり訓練の日々。特にライブ撮影は、三浦さんに徹底的に鍛えられた。助手時代に一番きつかった(体力的に)撮影、ユーミンの「TEARS
AND REASONS」のジャケット撮影とサザンの浜名湖での野外ライブ。けっこう撮影もさしてもらって楽しかった仕事、シャ乱Qの歌舞伎町で撮った写真集とダイエーホークスが優勝するまでの3年間を撮った写真集。他多数。
99年9月からフリー。主な仕事はミュージシャン、俳優のポートレイトおよびライブ撮影。被写体の9割がなぜか男性。でも、2000年に出た酒井若菜の撮りおろし写真集なぞもやった。
2000年12月、東京ツアーに来ていた山善と4年ぶりの再会。プライベートで山善のライブ撮影を再開する。なので福岡を訪れる機会増える。
2001年の冬、カメラマン仲間の多田裕美子との酔っぱらった席で、つい一緒に写真展をやることにしてしまい、後に引けなくなる。ノリで、「ミュージシャンのツアーみたく、東京と福岡でやろう!」ということにもなってしまった。
結果的には、予想以上にたくさんの方々に来場していただいて、それは一生忘れられない出来事になった。けれど、多田さんの、山谷に住む人々のなんとも気合いの入ったモノクロのポートレイトに比べて、私の山善のドキュメンタリー写真は、作品としての完成度がいまいちだったと今でも思っている。来ていただいた方には本当に申し訳ないが。
2004年4月、福岡が面白そうだ、という直感だけで移住。正直なところ、フリーカメラマンとしてちゃんとやっていけるのかどうかは、まだ不安。だが、これからどんな面白いことが待っているのかと、ずんずん前進する所存。
こんな人間ですが、なにとぞよろしくお願いします。
以上
2004年4月吉日